「日本人はどこから来たのか」 寺社仏閣 古墳

日本人はどこから来たのか。寺社仏閣、古墳など史跡をめぐりながら考える。

(13)大陸から渡ってきた人々

 ・大陸から渡ってきたルート

旧石器時代にシベリア経由で到達した
旧石器時代華北朝鮮半島経由で到達した
弥生時代に同じく華北朝鮮半島経由で到達した
④南方から沖縄経由で到達した。

前項までに①と④ルートは確認ができました。

③は弥生時代に入ってからですから、時代がずっと後です。

とすると残りは②旧石器時代華北朝鮮半島経由で到達したルートになります。以前整理した通り旧石器時代遺跡の「捏造事件」を乗り越えて、確実性の高い人類の痕跡が旧石器時代の地層から出ています。f:id:akikusah:20171124161314j:plain

15万年前~10万年前頃にアフリカを出て中東に達した現生人類は、シベリアの北回りとインド~東南アジアの南回り(ほぼ確実)で東へ向かいます。

 

旧石器時代華北朝鮮半島経由で到達したルート

①のシベリアから日本へ入ってきたルートをさかのぼると、北回りシベリア経由で樺太~北海道とやって来たように思いますが、実はこれを否定する説もあります。南回りでインドまでやって来た人々が中国を経由してシベリアに北上し、そこからさらに日本に東進した、あるいは中国華北朝鮮半島に南下してから日本にやってきた。という説があります。また南回りでスンダランドまでやってきてからそこを拠点に中国やシベリアにまで北上したのだ。というものもあり、北回り自体を?とされることもあるのです。しかもこの時代にシベリアから日本に入ってきた人々は寒冷地に対応して体の凹凸を無くし、平たいのっぺりした顔に細い目を持つ新モンゴロイドではなく、南方の特徴を持った古モンゴロイドと見られます。時間をかけて北回りりルートを旅してきたのであれば寒冷地に適応した身体=新モンゴロイドの特徴が現れそうなものですが、、、

シベリアから一部アメリカ大陸に渡った一派も古モンゴロイドであったところを見ても、南回りにアジアへやってきた人たちが北上してシベリア、そしてその先の日本やアメリカ大陸に到達したのではないかとも思えます。ただ北回りルート沿いに遺跡も存在することから、私は北回りルート自体は確実にあったと考えています。北回りというのは言うまでもなくヒマラヤ山脈の北側を東進したルートの事ですが、具体的にはどのようなルートだったのでしょうか。アフリカから東進し主にインドのインダス川流域に生息していたモンゴロイドはその時代時代の気候に合わせて移動をしていました。インダス川流域が乾燥して住みにくくなった時代には一部北上し、気候の良いパミール高原(現在のタジキスタンアフガニスタン・中国の国境付近で標高5000Mにもなる)やタリム盆地方面に向かったようです。これがヒマラヤ山脈の北側に出たことになります。

彼らはさらにマンモスなどの動物を追いかけてバルハシ湖(カザフスタン東部)へ向かい、さらにシベリアを東進してあのバイカル湖まで進出します。その後は寒冷期がやってくるとシベリアの極寒に耐えられずまた南下してパミール高原タリム盆地に戻って行ったり、また動物を追ってシベリアに展開したり、大きく行ったり来たり移動を繰り返しながら寒冷地に適応していったものと考えられています。これが北回りルートです。その中から突如としてシベリアをさらに進み、ベーリング海からアメリカ大陸へ渡った一派や、南下して樺太(から日本へ)や半島方面(から日本へ)に向かった一派がいたということではないでしょうか。現在バイカル湖縄文人と同じ系統の人々が住むことは確認されているわけですが、その共通する人々の根源がこの北回りの人々にあるという一つの説明にはなるわけです。しかし一方で、南回りで南方からアジアに入ったモンゴロイドの一部がバイカル湖にまで北上したとしても不思議はありません。現にアメリカに到達したモンゴロイドはなぜか寒冷地に適した新モンゴロイドに変容しておらず、旧来の古モンゴロイドと見られています。①ルートに関してもまだまだ分からない事だらけです。

 そしてヒマラヤ南回りで中国に人々が達したのは6万年前~5万年前と、かなり古いこの時代とみられています。ということは華南から直接日本へ、あるいは華北へ北上した後に半島を経由して日本へ、4万年前頃には少数であれ日本列島に達していたとしても不思議はありません。やって来たというより流れ着いた可能性も有ります。

私の考えますに②旧石器時代に大陸・半島経由で到達したというルート=4万年ほど前を起点として、南回りで中国に達した人々の中から日本列島に達した一派が出始めたのだと思っています。特に3万8千年前頃には朝鮮半島からの対馬ルートは、目視しながら渡れるほどの環境だったようです。そしてちょうどこの頃から日本には遺跡が急増します。まとまった数の人たちが日本列島に渡って来たのではないでしょうか。

しかし大陸・半島経由で日本へ渡ってきた人々が、どこから「大陸・半島の日本の対岸エリア」にやってきた系統なのか、南方由来なのか北方由来なのか、どちらの要素も持っているためにハッキリしないのです。時代が折り重なって南からも北からも両方やって来た可能性もあります。

A・インドから南回り中国に入りそこから日本対岸にやって来た

B・南回り→スンダランド由来の南方の民族が北上して日本対岸にやって来た

C・AやBの人々がシベリアに北上したあと再び南下して日本対岸にやって来た

D・北回り→シベリア由来の北方モンゴロイドが半島付近まで南下して来た

このようにいくつもルートが考えられますし、実際複数、全て存在した可能性も高いと考えます。半島経由でやってきた人に限って考えても、このようにルートを絞り込むことは難しいのです。この時代の半島からの玄関口である北九州や山陰地方の遺跡と半島の遺跡を比較すればその流れが分かりそうなものですが、、そう簡単なものではないようです。そもそも大陸ではどこからどのような人たちがやってきて、何が起きていたのか、それを確認することも大切ではないでしょうか。後項で大陸の状況にも触れたいと思います。

 

・多方面からやってきた日本人

こうして縄文人につながるであろう、太古の旧石器時代に日本にやってきた現生人類のルーツを見ても、列島への人の流れが単一ではないことが良く分かります。アフリカを出て中東で東に進路を取り、様々な旅をして来たモンゴロイド。彼らは東の果ての孤島、日本で再会することになったのです。

では日本に遺跡が増え始める4万年前以降、日本のどこにどのような人たちが住んでいて、どのように縄文人につながってゆくのでしょうか。しつこいようですが酸性土壌でほぼ人骨の出ない日本ではその解明を石器の編年や遺跡の構造から解き明かす必要があります。石器の編年研究とは、石器の時代による移り変わりを探し、その変遷の段階を地域別に明らかにすることで行なわれます。

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