「日本人はどこから来たのか」 寺社仏閣 古墳

日本人はどこから来たのか。寺社仏閣、古墳など史跡をめぐりながら考える。

(9)旧石器時代の日本

旧石器時代の遺跡(確定版)

今度こそ。近年確度が高いことになっている遺跡たちをご紹介します。

 

田名向原遺跡(2万年~1万8千年前)・・・後期旧石器時代相模川べりに位置していたと推定されています。1997年の調査で建物跡と推定される遺構が発見されました。直径約10メートルの円形の範囲を円礫(川原石)で囲んだもので、内部からは柱穴12基と焚き火跡2箇所もあわせて確認できています。また、二次加工をともなう剥片や大量の母岩・石核も集中して見つかっていて、旧石器時代人の石器製作の場として利用したことがうかがわれます。また、槍先形石器の石材には長野県産、伊豆産、箱根産の黒曜石が用いられていることから遠隔地との交流も見えてきます。成形された石器には尖頭器193点のほかナイフ形石器50点あまりが出土しました。サケ・マス類の季節的・集約的な漁場につくられた半定住住居なのではないかとも言われ、建物跡は、炉跡、柱穴、外周の円礫群などをともない、確実なものとしては日本列島最古の建物跡となっています。

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田名向原遺跡公園

 

函館市桔梗2遺跡(2万数千年前)・・・北海道に旧石器時代のものではないかと思われる遺跡がいくつかあり、もっとも古いとみられるものが函館で見つかっています。これによりウルム氷期(最終氷期)に、アイヌの祖先が今の北シベリアから来たと考えられています。

 

岩宿遺跡(2万5千年前)・・・1946年、相沢忠洋は、群馬県岩宿の関東ローム層の露出している赤土の中から黒曜石で作られた石器を採集します。そのころの日本の考古学者の常識ではこの地層は縄文文化最古の遺物を含む地層よりはるかに古く、人類遺物の存在するはずがないとされていました。相沢氏の発見を重大とみた芹沢長介氏はが当時所属していた明治大学考古学研究室の杉原壮介助教授にこれを報告し調査がおこなわれ、日本における旧石器時代の存在が初めて立証されます。日本でも縄文時代以前に人が住み、石器の組み合わせと製作技法によって分類できる、いくつかの段階があることがここに明らかにされたのです。

 

高原山黒曜石原産地遺跡群(4万年前)・・・高原山の黒曜石が旧石器時代縄文時代に関東地方で広く利用されていたことは、昭和30年代から知られていました。田村隆氏は2005年7月24日に単独で高原山にて調査を実施し剣ヶ峰と大入道の中間位置の斜面に黒曜石の角礫が多量に分布し、その中に石器の剥片を多数発見しました。直後に石器石材研究会が調査に入り、旧石器時代に石核が搬出され、石器も作製されたことが判明します。知的で効率的な作業の痕跡が確認されたのです。

 

野尻湖遺跡群(4万8千年前~3万3千年前)・・・野尻湖湖底及び湖西岸から南側にかけての丘陵地帯に点在する野尻町の39ヶ所の遺跡の総称です。その中のひとつ、中期旧石器時代の立が鼻遺跡では、約4.8万年前から約3.3万年前までの地層からナウマンゾウやヤベオオツノシカなどの化石と解体に使用したとみられる骨器や石器などの道具類が一緒に出土し、旧石器時代で大型獣を解体した跡を残している遺跡は世界的にも僅かなため、大変貴重とされています。

 

金取遺跡(9万年前)・・・岩手県宮守村の金取遺跡は1984年に武田良夫さんによって発見されて、1985年に金取遺跡発掘調査団(団長 菊池強一さん)が本格的な発掘調査を行います。調査では、中期旧石器時代のものと考えられる石器が40点が出土し、現在は、捏造の及んでいない中期旧石器時代の遺跡として注目されています。2003年になり、石器が出土した最下層は9~8万年前に九州から北海道まで飛散した「阿蘇4火山灰」であることが判明し、中期旧石器時代の遺跡ということが裏付けられました。

 

入口遺跡(10万3千年前)・・・長崎県平戸市山中町の段丘状の開発に伴い1999年~2003年にかけて平戸市教育委員会によって緊急調査が数カ所で実施され、10万3000年前および9万年前と考えられる二つの地層から瑪瑙製の石器が見つかりました。石器は平戸市が99年から02年の発掘調査で出土しました。その後台形状剥片4点、嘴状石器1点、スクレイパー4点、ハンマー・ストーン2点、礫器、石核、剥片、砕片が出土しています。

 

砂原遺跡(11万年前)・・・島根県出雲市多伎市で、2009年9月29日松藤和人同志社大学教授を団長とする発掘調査団が約12~11万年前の地層から、旧石器20点が見つかったと発表しました。玉随製剥片、石英製の石核、小さな剥片色々、石英の塊;敲石ハンマーストーンなどが見つかっています。

 


旧石器時代の日本の生活
信頼性の高い遺跡を紹介させていただきましたがこれでようやく旧石器時代の生活が少しだけ見えてきました。しかし日本は酸性土壌であることから、とにかく古い人骨が残っていません。人のいた痕跡・道具はありますが、人骨が出ないのです。現生人類が日本列島に入ってきたのはいつだったのでしょうか。そしてそれ以前に日本列島に居たであろう人類(旧人・原人?)にどのように取って代わっていったのでしょうか。

旧石器時代の遺跡は列島内で5000箇所以上発見されているにもかかわらず、住居の痕跡がほとんど発見されていません。そのことから旧石器時代の人々は、列島での大型の哺乳動物が絶滅する更新世末まで、獲物を追ってキャンプ地を転々とする移動生活をしていたと想定されています。

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・陸続きではなかった日本列島
日本に不完全ながらも弧状列島の形が出来上がりつつあったの500万年前でした。まだユーラシア大陸と陸続きな状態でしたが、その後、噴火による地殻変動があり、氷期間氷期が交互に繰り返す氷河時代には地形の変化が起こりました。日本列島には北、西、南、つまり間宮・宗谷・津軽対馬海峡や朝鮮などを通って、いろいろな動物が渡ってきたと考えられていて、それらの動物を追って原人もアジアに広がりました、日本にも渡ってきたのだろうと言われています。北海道は氷河期に大陸とつながったため、マンモス動物群が宗谷陸橋を渡ってくることができました。またナウマン象は約35万年前に日本列島に渡ってきて約1万7千年前に絶滅しています。

そして従来の学説では氷河期の最寒期、2万年前頃には日本列島はが大陸と陸続きになり日本人の祖先は獲物を追って日本列島にやってきたと言われてきました。これは常識であり、大前提になっていました。それがなんと、近年の研究で氷河期の最寒期でも津軽海峡対馬海峡には海が残り、大陸と日本列島(北海道は除く)は陸続きにならなかったことが判明したというのです。これは衝撃的なことです。この頃に現生人類が日本に渡って来るには、航海をしなくてはやって来れないことになってしまいました。f:id:akikusah:20171005125653p:plain

北海道しか陸続きにならなかった??

また舟を使わないと往来できない伊豆諸島・神津島で産出されたとみられる黒曜石が、関東地方の後期旧石器時代3万8千年前の遺跡で発見されています。このことから日本人の祖先はこの頃既に意図的な航海が可能だった、つまり舟に乗って日本列島にやってくることが可能だったと主張する研究者が出てきました。これについては研究が進み始めているのですが、にも関わらずこの時期の船の遺物が発見されないため、航海説には反対意見もあるようです。

いまちょうど国立科学博物館主催で3万年前の航海徹底再現プロジェクトを行っていますね。台湾から沖縄諸島(3万年前の遺跡の箇所をたどり)経由で日本にたどり着くことができたのかという実証実験です。

3万年前の航海 徹底再現プロジェク

 

・原人が高度な知能を持っていた?

磨製石器新石器時代(BC8500年~/日本では縄文時代)を代表する道具で、世界で広く使われました。しかし日本では既に旧石器時代・3万8千年前には「刃部磨製石斧」が製作されていて(日本とオーストラリアのみ)日本では独自の文化が形成されていたことがうかがえるのです。さらにこの刃部磨製石斧は3万年前には見られなくなってしまいます。これは現生種以前の人類たちに磨製石器を作る知能が備わっていたという証拠なのでしょうか?また前述の4万年前の高原山の遺跡から見つかった知的で効率的な作業の痕跡はこれも現生種以前の人類たちの仕業なのでしょうか?それとも現生人類が4万年前には日本に渡ってきてこれらの文化を世界に先駆けて生み出したのでしょうか。

人骨が出ない日本では現在ここは解明されていません。非常に興味深く、解明が待たれます。

2008年になってロシア・モンゴル・中国の国境に近いデニソワ洞窟で人骨のかけらや歯が見つかります。2010年DNAの解析によりこれは未知の人類の化石と判明します。デニソワ人と呼ばれるこの人類は大きくホモ・サピエンスに属し、80万4千年前に現生人類と分岐し、40万年前~30万年前にアフリカを出て中東へ行きます。そして中東からヨーロッパに広がったのがネアンデルタール人となり、中東からアジアに広がったのがデニソワ人の系統だと言われています。その後遅れてアフリカを出た現生人類はヨーロッパやアジアでネアンデルタール人やデニソワ人とも交雑したため、現代人にもネアンデルタール由来、デニソワ由来の遺伝子構造が見られるのです。アジアに広がったデニソワ人系統が日本にやってきた可能性もあります。デニソワ人は現生人類との交雑も見られる事から分かるように、知能の高い人類だった可能性があるのです。

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現生人類がアフリカを出る10万年前より早く、40万年前~30万年前にホモ・サピエンスに属するデニソワ人やネアンデルタール人といった系統がアフリカを出て世界に広がった事が判ってきました。一時はウヤムヤになっていた「旧人」(※ネアンデルタール人に代表される)と呼ばれていた存在は、やはり存在したようなのです。

 

私個人的には様々な状況をあわせると、ホモ・エレクトスなどの「原人」はアジアに拡散したが、日本列島にまでは到達できなかった。しかし11万年前よりも以前のかなり古い時代からデニソワ人などの「旧人」は日本に到達していて、生活の痕跡を残した。さらに4万年前頃にはもう舟に乗った現生人類、「新人」が海を渡って日本列島に到達し始めたのだろうと考えていますが皆さんはいかがでしょうか?

つづく