「日本人はどこから来たのか」 寺社仏閣 古墳

日本人はどこから来たのか。寺社仏閣、古墳など史跡をめぐりながら考える。

(14)人類滅亡の危機

前項、4万年前、遺跡が急に増加し出した日本(現生人類最初の大きな波が日本に到達した時期)とはどんなものだったのかというところで話が終わりましたが、少し脱線したいと思います。

 

・人類滅亡の危機

④の南方から沖縄経由ルートで到達した海の民。彼らは6万年もの太古の昔にスンダランドからサフールランドに渡ることができる海洋技術を有した人々ですから、その中の一部は北上して黒潮の流に乗って(黒潮が直接九州にぶつかるようになる前の時代ではあるが)日本列島に渡ってきていた、そういう一派が少数いた可能性が有ると思います。少数が断続的に沖縄ルートで日本にやって来たと思われます。ある程度まとまった第1波がいて、港川人(1万8千年前)の時代は第2波のまとまった集団だった、という説を唱える研究者もいます。その第1波というのは7万3千年前に今のスマトラ島(スンダランドの西方)で起きたトバ火山の大噴火(ここ10万年で地球上最大の噴火)を必死に逃れて脱出した人々のうち、日本列島にまでやって来た一団があったのではないかという説です。(時代がさかのぼり過ぎなような気もしますが。。)

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トバ湖はこの噴火で生じた世界最大のカルデラ湖である

スンダランドに現生人類が既に到達していた可能性のある時代ですし、この説も可能性としては無視できないと思います。これらを考えると4万年前には南方ルートからの日本到達を果たした人々もいたのではないでしょうか。

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ちなみにこのトバ火山の超巨大噴火によって、当時東南アジアに残っていた原人、ユーラシア大陸に広く展開していたであろう旧人、そしてアフリカを出て東南アジアにまで進出し始めていた新人は壊滅的な被害を受けたと考えられます。東南アジアエリアにいた様々な人類はほぼ壊滅、全世界に灰が降り積もり被害はどんどん拡大、灰は厚く太陽を遮り、世界の気温が5度も低下するという急激な寒冷化を招きます。この寒冷化はなんと6000年も続き、原人類は滅亡、旧人類もほんの一部ネアンデルタール人やデニソワ人などを残し滅んでしまったといいます。新人の系統も多くは滅亡し、残ったのが我々現生人類につながったということになります。超巨大噴火前に、合わせて100万人はいたと考えられている人類は1万人以下になってしまったようなのです(トバ・カタストロフ理論)この劇的な寒冷化以降から人類は「衣服を身に着ける」という観念を持ったという説もあります。

楽園であったスンダランドでこのような大爆発があったこともあり、これをきっかけに新天地を求めて北東方向に向かった一派が、時間をかけて日本にも到達した。つまり④ルートはかなり古い時代からあった可能性があります。

また、この時代に現生人類がスンダランドまで到達していなかったとしても、地球上のどこにいたにせよ、全ての現生人類はこの人類滅亡の危機を乗り越えて生き残った人々の子孫であることが分かります。世界中の誰もが同じ彼らの子孫です。